東アジアの女性を守る「ある食べ物」
動物性蛋白質の摂取量の増加に代表される食の欧米化によって、日本人女性の性的な成熟が早くなりました。ここに、晩婚化や少子化の影響が重なることで、乳がんが増え始めたと考えられます。
時代が変われば、女性の生き方、考え方が変わるのは自然なことです。また、食生活の変化には良い面も悪い面もあります。第4章で見たように、動物性蛋白質の摂取が増えたことで、日本人の血圧が下がり、脳出血が減りました。こんななかで、一人一人が身を守るにはどうしたらよいでしょうか。幸い、乳がんを予防するためのヒントがいくつか明らかになっています。その一つが大豆と大豆製品です。
日本を含むアジアの女性は、欧米人とくらべて乳腺の割合が高いタイプの乳房を持つ人が多いのに、欧米人より乳がんが少ない。その背景を明らかにできれば乳がんの予防に役立つはずだ。そう考えた欧米の科学者らが研究を進め、東アジア人が習慣的に摂取する大豆と大豆製品が注目を集めるようになりました。
動物実験で乳がんに対する予防効果が認められたことから、大規模な調査がおこなわれましたが、欧米人でははっきりした結果が得られません。それもそのはず、日本人の大豆製品の摂取量は米国白人の700倍にのぼります。欧米人は大豆製品を食べる習慣がほとんどないので、よく食べている人と、まったく食べていない人をくらべても、乳がんの発症率に差が出ないのです。大豆製品の効果を調べるにはアジアで調査するしかないということです。
大豆に含まれるイソフラボンは化学構造が女性ホルモンに似ています。そのため、女性ホルモンが結びつく受容体という構造に女性ホルモンの代わりに結びつき、女性ホルモンの作用をじゃますることで乳がんを予防すると考えられています。日本とアジアの他の国でおこなわれた研究からは、大豆製品の摂取により、乳がんの発症率がおおむね30~40%下がることが報告されています。
これ以外にもさまざまな効果が確かめられており、本書でも、イソフラボンを多く摂取するとインスリンの効き目が良くなること、脳梗塞と心筋梗塞の発症率が下がること、骨からのカルシウムの流出が少なくなることなどを見てきました。
しかし、女性ホルモンの受容体にイソフラボンが結びつくと受容体を刺激することになって、逆に乳がんが起きやすくなるのではないかと心配する声もありました。そのため日本で大規模な調査がおこなわれ、血液に含まれるイソフラボンの濃度をもとにイソフラボンの摂取量を推定して、乳がんとの関連を調べました。参加者をイソフラボンの摂取量により4つのグループに分けて比較したところ、図9-7に示すように、摂取量が多いほど発症率が低くなりました。摂取量が最も少ないグループとくらべると、イソフラボンを最も多く摂取しているグループは、乳がんの発症率がなんと約3分の1になっています。
イソフラボンを最も多く摂取していたグループでも乳がんの発症率が下がったのですから、食事から摂取する限りは、イソフラボンで乳がんの発症率が上がることはなく、その逆に乳がんを防ぐ効果があるのは間違いないと考えられます。
ただし、サプリメントで大量に摂取した場合の効果と安全性については、完全にはわかっていません。
イソフラボンはほぼ大豆にだけ含まれる成分で、日本人はイソフラボンの90%以上を、大豆、豆腐、みそ、納豆から摂取してきました。安易にサプリメントに頼るのではなく、食品からの摂取を心がけたいものです。
乳がんを招く生活習慣
ここ数十年のあいだに日本で起きたのは、食生活の変化だけではありません。本書から目を上げて、窓の外をながめてください。
日本全国、町でも村でも道路網が整備され、乗用車が普及しました。交通機関が発達したことで歩く機会が減っています。運動不足で乳がんが増えるという報告は、日本でも欧米でも提出されており、日本人女性5万人を対象にした調査からは、とくに閉経後の女性がスポーツや運動を週に3回以上おこなうことで、乳がんの発症率が30%くらい下がることが示されました。大腸がんも同じでしたね。日本人で運動による予防効果が確かめられているのが、大腸がんと、この乳がんです。
そして、これはまだ研究の途中ですが、睡眠不足で乳がんの発症率が上がるという報告があります。正確に言うと、不規則な生活によって、人間にもともと備わっている体内時計が乱れると乳がんが発生しやすくなるというのです。
欧米には、夜間勤務の女性は乳がんに1・4倍なりやすいとか、旅客機の女性客室乗務員が退職後に乳がんになる確率は、そうでない女性とくらべて5倍高いなどの報告があります。日本でも、夜中に仕事をしている人は肥満になりやすく、高血圧、心臓病、脳血管障害、糖尿病、さらには、うつ病の発症率が上がることがわかっていました。
これに関係すると考えられているのがメラトニンというホルモンです。人間には体内時計と呼ばれる仕組みがあり、昼間活動して夜間眠るよう生体機能を調節しています。この体内時計のリズムを作るのに欠かせないのがメラトニンです。夜間勤務、もしくは不規則な生活で夜間も明るい照明にさらされると、メラトニンの分泌が大きく減ってしまいます。メラトニンは体内時計の調節だけでなく、がんの発生をおさえるがん抑制遺伝子の作用や、性ホルモンの分泌にも深くかかわっているとされ、夜間勤務でメラトニンが減少すると、乳がんを発症しやすくなるおそれがあります。
これらの報告を受けて、欧州の一部の国は、夜勤がつきものの看護師と客室乗務員が20年以上勤務したあとで乳がんになった場合に、労働者災害補償保険による給付が受けられる制度を始めました。いわゆる労災の適用になるということです。
夜間に起きていることで乳がんが増えることを示すデータは、まだ日本では得られていませんが、乳がんと同じく性ホルモンの影響を受ける前立腺がんについては結論が出ています。交替勤務につく男性は、昼間だけ働く人とくらべて前立腺がんの発症率が3倍高くなっていました。研究が進めば、日本でも、夜間勤務と乳がん発症の関係が明らかになるでしょう。
2009年に経済協力開発機構(OECD)が世界各国の平均睡眠時間を調査したところ、日本は18ヵ国中17位で、世界でも睡眠時間が短いことが判明しました。また、NHKが1960年におこなった調査結果とくらべると、現代人の睡眠時間は1時間ほど短くなっているそうです。
その理由の一つが高齢化で、高齢者は「夜中に何度も目がさめる」「なかなか寝つけない」など、睡眠の問題を抱える人が少なくありません。
しかし、それと同時に夜型人間の増加があげられます。現代の日本で夜勤そのものを禁止するのは不可能ですが、仕事以外の理由で夜ふかしぐせがついている人は、体内時計を整えることが重要です。
最後にもう一つ。日本人の乳がんによる死亡率は、現在もなお、欧米より、はるかに低い水準にとどまっています。ところが、欧米の大部分の国で死亡率が下がり始めているのに対し、日本は逆にじりじり上がっています。
図9-8は、乳がんによる死亡率を年齢で調整して、国ごとの変化を見たものです。欧米各国は1990年ごろに死亡率の上昇が止まっていますね。これは、この時期に乳がん検診が普及したからとされています。残念ながら、日本は乳がん検診の受診率が欧米の3分の1しかありません。しかも、乳がんが30代から増加することが十分に知られておらず、若い世代の受診率が低いのが問題です。
日本乳癌学会の調査によると、乳がん患者さんのうち、自分でしこりに気づいて病院をおとずれた人が70%近くにのぼりました。乳がんは体の表面に近いところにできるので、比較的発見しやすいがんです。しかし、自分で気づくころには、それなりに進行している場合がほとんどです。暮らす環境が変わり、乳がんが増えている現代社会において、日本人女性が乳がんから身を守る第一歩は、2年に1度、できれば毎年、乳がん検診を受けることです。
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