腸が眠くなる?
睡眠は、中枢神経系である脳で起こる現象に違いない──かつてそう考えられてきたが、クラゲやヒドラの研究によって、必ずしもそうではないことが分かってきた。脳をもたない生き物にだって、起きているときと眠っているときがある。
ヒドラの体のつくりを思い出してみたい。筒状の胴体に触手をつけた体の構造をしている。胴体の部分は中が空洞になっていて、口から餌が取り込まれれば消化液を分泌する。そして、上皮細胞から栄養分を吸収するのだ。ヒドラには肛門にあたる部分はなく、口から排泄物を吐き出す。まるで、体全体が消化管のようである。ヒドラは少し前の動物の分類では、腔腸動物と呼ばれていた。
ヒドラの神経系のつくりは、私たちの体のある部分の神経系によく似ている。それは、腸管神経系だ。私たちの消化管の周りを、網目状に張り巡らしている神経系である。消化管のような体のつくりに、よく似た神経ネットワーク──ヒドラは“腸に触手をくっつけた生き物”と表現することができるかもしれない。であれば、こうした問いを立ててもいいかもしれない。ヒドラが眠るのならば、私たちの腸も眠るのだろうか──。
近年、脳以外の末梢組織が、睡眠を調節するしくみが分かってきた。にわかには信じ難いことだが、2017年には、筋肉ではたらく時計遺伝子が睡眠を調節していることが報告された。
体内時計を動かす時計遺伝子の一つに、Bmal1と呼ばれるものがある。その研究では、Bmal1遺伝子を失くしたマウスを用いている。いわゆるノックアウトマウスと呼ばれるものだ。Bmal1のノックアウトマウスでは、ノンレム睡眠の量が増えることが知られている。Bmal1は体のあちこちで機能しているが、はたしてどこのBmal1が睡眠を調節するのだろう?
脳でのはたらきが大事なようにも思えるが、結果は予想と異なっていた。
Bmal1のノックアウトマウス、つまり全身にBmal1が存在しないマウスで、脳にBmal1を補う操作をしても(生物学では脳でBmal1をレスキューすると言う)、ノンレム睡眠の量は変わらなかった。その一方、なんと筋肉でBmal1をレスキューすると、ノンレム睡眠の量が正常に戻ったのだ。さらに、筋肉だけでBmal1をノックアウトすると、ノンレム睡眠の量が増えた。筋肉が睡眠の量を調節しているとでもいうのだろうか。
線虫においても、神経細胞ではなく末梢組織の細胞内ではたらいている分子が睡眠を制御することが示されている。睡眠は、必ずしも脳によって制御されているわけではなく、末梢組織でも調節され得る。ショウジョウバエを用いた研究では、腸から分泌されるペプチドが、末梢神経系を介して睡眠中の反応性の低下に関わっていることが明らかにされた。
腸は“第二の脳”と称されることがある。ヒトの腸管神経系には、約一億個もの神経細胞が存在していて、脳を介さずとも、受容した情報にもとづいて反応する。そして、ヒトがお母さんのお腹の中で成長していくとき、腸は脳よりも先に形成される。その神経系は、脳よりもずっと根源的なのだ。
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